ひきこもりは幸せではない

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ひきこもれる環境があるから、ひきこもりは幸せだという意見があります。私はそれに反対ですが、そういう意見をもつ理由について、共感はできませんが理解できなくはありません。ひきこもりが幸せだと思ってしまう理由は2つ考えられます。

1つ目はメディアの偏向報道により、ひきこもりは何の苦労も抱えていない、ただの親のすねかじりという偏見が未だにあるからです。
偏向報道の原因として、暴力的支援団体(暴力にうったえる時点で支援ではありませんが)や、いわゆる引き出し屋によってひきこもり当事者が部屋の外に連れ出されるシーンを、働かざる者食うべからずの論理からひきこもりを絶対的な悪と決めつけ、まるで勧善懲悪のごとく取り上げるメディアの姿勢があります。また、一部の視聴者は、そういう報道に何も疑問をもちません。
この手の番組は、勧善懲悪のシーンをより引き立てるため、ひきこもり本人のイメージをより悪くするように話を盛っていると思います。以前、働いたら負けだと思うと取材に応じた自称ニートの男性が話題になりましたが、この人が本当にニートやひきこもりであるか、番組が盛っているかどうかを証明することはできません。
たとえ盛っていなかったとしても、上記のような報道はひきこもり当事者の人権を踏みにじっています。東日本大震災や熊本地震等で被災者に対する取材が問題になりました。被災者に対する取材が、被災者の心に土足でずかずかとあがりこんでいたり迷惑になっていると視聴者が感じたからです。
ひきこもりに対してもまったく同じことが言えるにもかかわらず、ひきこもりはなぜか無条件で犯罪者のように扱い、この人たちの人権に配慮する必要はないし、このような報道も問題がないと考えるのは、私にはとても奇妙に感じます。

2つ目は、ブラック企業などで心身をむしばまれている人で、かつ、環境が整えばひきもこりを選択する人がもつ感情です。経済的なものも含めてひきこもれる環境があるならば自分だってひきこもりたいが、その余裕がないから、自分はたとえブラック企業の下でも働かざるをえないという人は、ひきこもる環境がある人は自分に比べたら幸せだという感情をもつでしょう。これについては、そもそも、ブラック企業などで心身をむしばまれている人の存在じたいが社会的な問題であり、解決が必要な課題です。

放蕩したくて意図的にひきこもっている人は、そう多くありません。ひきこもるまでの段階で精神的なダメージを受けて、精神的な疾患を二次的に発症していることも少なくありません。そういう人たちは、そもそもひきこもっている状態そのものが不本意と感じており、ましてや自分が幸せだとは感じてはいません。当事者の苦痛が理解されるどころか幸せな人だと思われてしまう社会では、ひきこもりの問題は解決しません。