発達凹凸と社会が抱える課題や責任

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発達凹凸(社会では発達障害と言われているもの)は決して悪いことではありません。ですから、そもそも発達凹凸に対して責任の所在を求めることじたいがナンセンスとも考えられるため、この記事のタイトルもどうかと思うところはありますが、他に良いものがぱっと浮かんでこなかったのでご容赦願います。

さて、発達凹凸の子どもを見て、まだ「親の育て方が悪い」と考える人がいるのは事実です。一方で、「生まれたときには脳の回路が凹凸になっているから、発達凹凸は遺伝的問題であり親に責任はない」というだけでこの話を終わらせるのはどうかという意見をもつ人と先日話しました。
親に責任をなすりつけるつもりはないし、ましてや「親の育て方が悪い」なんて決して思わない、しかし、この言い方だと社会までもが責任を放棄しているという意見でした。生まれる前の子どもに遺伝子的な介入をすることは倫理的問題がともなうためするべきではない、であれば、発達凹凸は運命で決まっていた出来事で、誰も責任をとれないしとる必要もない、よって、社会も責任をとれないしとる必要もない、ということです。私はこれを聞いて、なるほどと思いました。

胎児は母体の影響を受けます。ですから、妊婦さんは風邪薬を安易に飲めませんし、胎児のぶんの栄養もとらないといけません。このような物質的な要素の他に、精神的な要素も胎児に影響を及ぼす可能性があります。例えば、胎教という言葉があります。良い音楽を聴いたり、本を読み聞かせたり、下品な言葉や映像に触れないようにするというのもあります。母体にストレスがかかって、それが胎児に良い影響を及ぼすとは考えにくいです。
下品な言葉や映像だけでなく、妊娠中に受けた社会的孤立や無理解も母体のストレスになります。そして、それらのストレスが胎児の発達凹凸の度合いを濃くする可能性はゼロではありません。
上記のことを考えれば、「生まれたときには脳の回路が凹凸になっているから、発達凹凸は遺伝的問題であり親に責任はない」というのは、確かに、偏見に悩まされている親御さんにとっては優しい言葉に聞こえますが、その裏で「誰も責任がとれないから社会も責任をとらなくて良いよね」というニュアンスが含まれるとも考えられます。親御さんに優しい言葉をかけると同時に、社会も自分たちの課題から逃げているセリフであるいうことです。

うがった見方だと思う人もいるでしょう。しかし、何かしらの不幸な事象(それが本当に不幸かどうかは別として)を見聞きしたときに、「かわいそう」「あなたは決して悪くない」と言いつつ、「自分じゃなくて良かった」と思ってしまうことは、よくあることです。日本の某大臣が「震災が起きたのが地方で良かった」などという失言をしたのは先日のことですが、これは悪い意味で最たる例です。
面倒ごとを避けたがるのは人間の性ですが、少し重い腰をあげてでも課題を解決に導く人がいないと、発達凹凸にしても他のマイノリティーにしても、表面上は優しい言葉があふれるだけで、課題の本質である世の中の生きづらさは減らないでしょう。