日本人の気質がもたらすウェブへの影響

論争と質疑応答

W3Cの仕様書を日本語に翻訳しているボランティアは少なくありませんが,原文のニュアンスをどれだけ反映できるかは翻訳者の力量に左右されます.すると,似て非なる文書が複数公開されて,誰が最も正しいことを書いているのかという不毛な論争が始まります.この問題は,個々人がW3Cの仕様書の原文を読めば解決できます.

一方で,初学者が妥当でないソースを示して質問すると,ドライな回答をする人が目立ちます.「ググれ」(検索して調べろ)という俗語は象徴的です.また,ソースの揚げ足取りに終始する人もいるため,質問者が不愉快な思いをすることもあります.W3Cの仕様に精通している人が「W3C信者」と揶揄される理由と無関係ではありません.

質問者も,不明な点は自力で調べてから,その過程を書いた上で質問することが望ましいです.単に「教えて」だけでは,問題解決への努力が感じられず,回答する気力が萎えるからです.

初学者と熟練者の間に溝があると,知識の共有が感情的な理由で阻害されるため,ウェブへの良い影響はありません.

基礎学力の低下

2007年4月に行われた文部科学省の基礎学力調査の結果によれば,知識で単純に解ける問題に比べて,思考力を要する応用問題の正答率がどの科目でも低くなっています.基礎学力の低下によるウェブへの影響として2つのことが考えられます.

1つ目は文書作法の悪化です.簡潔で明瞭な文書や正しい漢字を書くことは,国語の授業で学びます.しかし,かな漢字変換の機能に頼りすぎると,漢字が正しく使えなくなりますし,同音異義語への注意も散漫になります.漢字の誤用は文書が不明瞭になる原因の1つです.

また,スマイリー(顔文字)や絵文字を多用すると,物事を言葉で書けなくなります.さらに,句読点の不適切な使用や難読漢字の過剰な使用は,読み手に対する思いやりが欠如した行動です.

2つ目は論理的思考力の低下です.スクリーン・リーダでは,リンクや見だし等の情報を付加してページを読み上げます.しかし,文書の論理的な構造を理解していなければ,XHTMLの知識が正確でも,適切な要素でマークアップを行うことができません.

仕事の文書では,正確な内容を簡潔に伝えるために,要点を箇条書きで表すことがあります.箇条書きの意義を理解せずに冗長な文を書く人は,ulolli要素の目的を適切に理解できません.

プロセス軽視の弊害

結果が期待はずれであれば,過程の内容に関わらず案を採用しないという環境下では,ウェブサイトの見た目(結果)が良ければソース(過程)が破綻しても構わないと思うかもしれません.思考の放棄はタグの乱用を引き起こします.

各種サービスの功罪

ウェブサイトやブログを開設できる場所では,無料の代償として広告を表示することがあります.管理者自らが広告を表示することもありますが,いずれにしても,広告会社が指定したソースをそのまま利用することが多く,往々にしてそれらのソースは妥当ではありません.また,ソースの変更を禁じる企業もあります.

最大手の企業が提供するサービスは有用であるため,ソースの妥当性とサービスの効果を天秤にかければ,後者に傾いてしまうことが多いです.利益を追求する企業として,有用なサービスや広告媒体を採用することは多くても,ソースの妥当性を気にしているところは少ないです.

上記の傾向は,ソースの妥当性を確認するツールで企業のウェブサイトを検証すれば分かります.この傾向に拍車がかかればタグの乱用が再燃します.

公共の場でのマナー

ウェブは世界共通の場です.日本人は,国内の公共の場でマナーを守っているでしょうか.歩道における歩き煙草や,ゴミのポイ捨て,自転車や自動車の違法駐車,マナーモードへの設定を怠ったまま公共交通機関で携帯電話の通話を平然と行う等,マナー違反には枚挙にいとまがありません.

国内の公共の場で他人への配慮ができない人は,ウェブにおけるマナーをわきまえることができません..

まとめ

日本における情報基盤の確立は先進国として不可欠ですが,少数意見や社会的弱者に対して見て見ぬふりを続けていれば,日本自体がウェブから取り残されます.

企業の社会的責任(CSR)において,環境問題やスポーツ・文化活動に対する取り組みは目立ちますが,適切な情報発信を行っているかという判断の材料として,ウェブサイトのユーザビリティやアクセシビリティが確保されているか,ソースの妥当性や文書の構造がきちんとしているかを考慮することも必要です.

上記のことを蔑ろにしないように,企業だけではなく個人も行動していくべきです.